瀬戸内市議会 2021-12-03 12月03日-04号
要旨1、今年は宇喜多直家没後440年、来年は秀家生誕450年の節目に当たります。宇喜多家出身の地ともいえる本市でも関連地域と連携しイベント等の企画をしてはどうか。 私は宇喜多が大好きです。しかし、もともと歴史好きだったわけではありません。数年前に行った講演会で、岡山にとって岡山を築いた宇喜多親子は本当に大切な人、恩ある人だと言われたのを聞いたとき、その親子の出身は瀬戸内市だと大感動いたしました。
要旨1、今年は宇喜多直家没後440年、来年は秀家生誕450年の節目に当たります。宇喜多家出身の地ともいえる本市でも関連地域と連携しイベント等の企画をしてはどうか。 私は宇喜多が大好きです。しかし、もともと歴史好きだったわけではありません。数年前に行った講演会で、岡山にとって岡山を築いた宇喜多親子は本当に大切な人、恩ある人だと言われたのを聞いたとき、その親子の出身は瀬戸内市だと大感動いたしました。
さて、このほど高梁市歴史美術館の企画展に展示する備中松山藩士芦田家に関する資料を調査いたしましたところ、戦国武将宇喜多直家、宇喜多秀家が差し出した書状を新たに発見いたしました。これまで宇喜多氏に関する古文書が少ないということから、岡山県内の戦国時代の状況をより鮮明に知ることができる貴重な発見となりました。近日中に高梁市公式ユーチューブで御紹介することとしております。
これからも,岡山城では宇喜多直家,秀家親子の話も当然ありますし,関ケ原を通じて小早川であるとか池田家につながる人物像なるものをきちっと整理していく,それ以降も,今回も赤木さんの地元という話,犬養木堂さんの話もありましたが,様々な形でそれらを明らかにすることによって,我々のふるさとというものをより誇れるようにしていきたいと思っております。
それから,やっぱり城自体は秀家時代であります。関ケ原では小早川秀秋,それから最終的に池田家のものになる,そのときは池田輝政。こういったものの関係を整理していくと,どこにもないものが多分できてくるんじゃないかなと思います。 それだけじゃなくて,最終的な歴史とともに柳井議員がおっしゃったように岡山のまちに誘導していく,そういったことも必要なんじゃないかなと思っているところであります。
「当時の日本で最も広い世界を知っていた人が,最も小さい絶海に浮かぶ八丈島へ流人第1号として流された宇喜多秀家」などなど。臼井先生いわく,「私が考える,岡山らしく,岡山を代表しているグローカルで個性的な」人物紹介であります。どこからどう見ても岡山に大きな誇りと自信をもたらそうとするエールに包まれており,その壮大なストーリー性に驚くばかりであります。
先月には,八丈島の方々とともに秀家公ゆかりのソテツを東区沼の亀山城跡に植樹し,また今月には,後楽園のタンチョウが取り持つ縁で交流を続ける釧路市から友好親善訪問団が来訪され,岡山城天守閣にて歓迎レセプションを開催し,旧交を温め合ったところです。 ことしはG20岡山保健大臣会合を初め,文化,芸術,スポーツ,観光などさまざまな分野で国内外の方々との交流を深める秋となりました。
また,天守閣内の展示については,昨年好評だった宇喜多秀家を中心とした特別展示を常設化するとともに,岡山城の魅力について歴史学者の磯田道史氏が語るガイド映像を制作しているところです。今後は,平成33年度に予定している耐震補強工事を含む大規模改修に合わせ,岡山城本丸内のバリアフリー化の検討や魅力ある展示構想について磯田氏に監修していただくなどさらなる魅力づくりを進めてまいりたいと考えております。
ク,岡山市が交流を重ねてきた八丈島には宇喜多秀家と豪姫の石像が建てられています。岡山城敷地内にも八丈島にあるような秀家像を建立するなど,岡山城の話題性が高まり,注目度も増すような取り組みが必要だと考えますが,当局のお考えをお示しください。 ケ,桃太郎大通りには,駅からお城まで桃太郎ゆかりのオブジェなどをたどって歩くなど,大きな工夫が必要だと思いますが,どのようにお考えでしょうか。
だから、牛窓の、よその、邑久町にしても長船にしてもすばらしい刀剣博物館があったり、竹久夢二の生家、これはもう両備さんが持ち物ですけれども、大賀島のだんじりにしても宇喜多秀家の発祥の地ではあるし、余慶寺にしても戦前は児島高徳といえば全国的に唱歌にも歌われたような歴史伝統文化がある、国宝もあるような地域だし、そこらの状態で全部を全部まちごとに観光開発をしようと思ったら莫大な金が要るかもわかりませんけど、
だから、牛窓の、よその、邑久町にしても長船にしてもすばらしい刀剣博物館があったり、竹久夢二の生家、これはもう両備さんが持ち物ですけれども、大賀島のだんじりにしても宇喜多秀家の発祥の地ではあるし、余慶寺にしても戦前は児島高徳といえば全国的に唱歌にも歌われたような歴史伝統文化がある、国宝もあるような地域だし、そこらの状態で全部を全部まちごとに観光開発をしようと思ったら莫大な金が要るかもわかりませんけど、
とても秀家が格好よくて,イケメンに描かれております。ここでは,この秀家のイメージをどれだけPRされるのか,お伺いしたいと思います。 堺市において,やっぱり似たようなことがございました。ちょっと色が飛んでいるかもわかりませんが,一番左側,この人が実は与謝野晶子なんですね,この隣は江戸川乱歩だそうなんですが,こういったイベントを今堺市でやっております。
また,岡山城については,天守閣への入場者数が年々増加する中,今年度はさらなる魅力アップに向け,築城主宇喜多秀家にスポットを当てた特別展示を初めとしたさまざまな実証実験に取り組まれるとともに,天守閣等の耐震診断も実施されたところでございます。 そこでお尋ねします。 (1)今年度の事業についてどのように評価し,来年度はそれを踏まえた上でどのような事業展開を考えておられるのでしょうか。
下津井城につきまして、ちょっと歴史をひもといてみますと、下津井城は文禄年間、1592年から1596年ごろに宇喜多 秀家が既存の小城を出城として改修したのが始まりと言われております。慶長8年、1603年に池田 忠継が備前藩主となり、播磨国赤穂城代であった池田 長政が下津井城を預かり、近世城郭へと大改修し、城下町の整備にも力を注いだということであります。
なしに、誤解のないようにお願いしておきますけれども、瀬戸内市としてこういうふうな過去の歴史、いろんな今の行政面でもお世話になっている関係上、横を向いて傍観するわけにはいかない、瀬戸内市にも瀬戸内市としての今までのきずな、つながり、歴史的なもんのつながりもありますし、これから先も岡山市に協力ができることがあったら協力していったならば、池田とのつながりで、また岡山城築城にかかわった、八丈島に流された宇喜多秀家
なしに、誤解のないようにお願いしておきますけれども、瀬戸内市としてこういうふうな過去の歴史、いろんな今の行政面でもお世話になっている関係上、横を向いて傍観するわけにはいかない、瀬戸内市にも瀬戸内市としての今までのきずな、つながり、歴史的なもんのつながりもありますし、これから先も岡山市に協力ができることがあったら協力していったならば、池田とのつながりで、また岡山城築城にかかわった、八丈島に流された宇喜多秀家
やっぱり歴史というものを捉えなきゃいかんということで,1つ目は宇喜多秀家公の人物像にスポットを当てるということを考えてみる。2つ目は,岡山城の付加価値というのは何だろうかと考えたときに,やっぱり出てくるのは後楽園と一体となったものと。後楽園も同じだと思うんですね。
昨年度行った岡山城天守閣等のあり方検討調査の結果を踏まえ,築城主である宇喜多秀家公を語り継ぐ場所,全国的にも珍しい城と一体となった庭園である後楽園の空間を表現する場所,市民,県民が主体となって楽しむことができる場所という3つのコンセプトのもとに天守閣等の新たな活用に関する実証実験を行います。
城郭ライターの萩原さちこさんは,岡山城は宇喜多秀家を気に入っていた秀吉の指示のもとにつくられた秀吉プロデュースの城と新聞記事に紹介されています。今後の展望が明確になれば,おのずと石山周辺の構想も明確になってくるのではないでしょうか。
山の上にだんじりが4台も5台もあるような祭りはもう奇祭と言っていいぐらい有名だったらしいんですけれど、今先ほども申し上げたように、少子化でどうにもならなくなっておりますけれども、この祭りはその横に砥石城がありますし、関ヶ原の戦いで敗れて八丈島へ流された宇喜多秀家とも関連がある由緒ある名跡なので、ぜひこれはもう完全な状態でまたもう一遍皆様方のお力をかり、また市民の力をかりてきちっとした状態に健全な状態
山の上にだんじりが4台も5台もあるような祭りはもう奇祭と言っていいぐらい有名だったらしいんですけれど、今先ほども申し上げたように、少子化でどうにもならなくなっておりますけれども、この祭りはその横に砥石城がありますし、関ヶ原の戦いで敗れて八丈島へ流された宇喜多秀家とも関連がある由緒ある名跡なので、ぜひこれはもう完全な状態でまたもう一遍皆様方のお力をかり、また市民の力をかりてきちっとした状態に健全な状態